滔想 tōsō

開設 2023年1月17日 火曜日 午前3時51分58秒

さて、先ず何から始めようかというと

 漢字は紙にペンで書かなければ中々覚えることは難しいけれど、アルファベットならそうでもないのではないかと思い、思い切ってPC中心で英語学習を進めてみている。

 

 かつて英語の教材を購入する際、基本的に音声が収録されたCDが付属しているかどうかを判断の材料にしていた。しかしそれらのCDには項目名さえ入っておらず、PCに取り込んだらただトラック番号が表示されているだけなのでで少し使いにくい。もう古い代物ということもあってか、そもそも無いのか知らないがメタデータも取得できない。

 CDのタグ情報を編集しながら、これならついでに歌詞情報の部分に当該英文を打ち込んでしまえばどうだろうかと思った。そうすれば紙の本がなくても手元のGalaxyで音声を聞きながら確認できる。

 

 英単語の学習用カードを作る作業そのものが記憶の定着に一役買っている様に、音声データの歌詞表示を充実させる作業で英文に慣れていければと考えたのだ。

 

 幸いキーの入力には不便しないので、手書きでやっていくよりはかなり楽だ。綴りを意識しなければいけないのはキーボードでも変わらないので、何とかなりそうな気がする。

 

 まだ真剣に脳を全力回転させて英語に集中できているわけではないが、先ずはとにかく生活の中に英文を取り込み、脳にEnglishを馴染ませることから始めている。

映画の感想さえ無知蒙昧な私には難儀至極

 映画でも小説でも、自身での咀嚼はさておき、他の人はどのような感想を抱いたのかが気になって仕方なく、作品の終わりと同時にラップトップを開いてブラウザの検索窓からすぐにネットの世界に飛び込んで確認作業に取り組んでしまう。するとそこには、真偽を確かめる術はこちらには無いのだけれど、それなりの専門家並みの分析を言葉巧みに説明している人々が居てくれて、非常に助かる反面、こちらの様々な不足を思い知らされ悔しい思いが残るのも事実だ。

 そんな他人のことなど気にせず、自分の思考を自分の言葉で表現すればいいのに、彼らに比べれば何も記すことなどないし、第一私の視点は誤りで溢れかえっているかもしれないので尻込みし、逡巡で疲れてしまって何も残すことなく、いつの間にか熱が冷めてしまうのだ。

 

 クリストファー・ノーラン監督の「TENET」なんていう難解な作品に手をつけようとする私が大きな間違いを犯してしまっているのは十分承知している。理系の感覚や知識が皆無な人間が、量子力学の常識前提で繰り広げられるSF作品について何を書けるというのか。

 

 一度見ただけではTENETの世界を理解するのは難しい。この映画についての解説をどれだけ事前に仕入れていたとしても一発で完全に把握出来る人など居ないと思う。

 もしこの映画をきちんと理解したいのなら、最低でも2回は通して見た方がいいし、その2回目を見る前にYouTubeでネタバレ系の解説動画をいくつも見ておくのが賢明だと思う。大丈夫、それでもよくわからないからきっと後悔はしない。

 

 とにかく面白い。時間の逆行がテーマだ。リアルタイムでタイムトラベルする世界をこんなに長々とダイナミックに描いた作品はこれまでに無かったのではないだろうか。

 

 TENETについての記事の下書きを公開にできるのは何時になるだろう、もしかしたら永遠にその日は来ないかもしれない。

 

 色々な解説を辿っている最中に面白いものを見つけた。TENETのOSTの逆行バージョンがYouTubeにアップされていた。しかもそれをやってるのは恐らく楽曲配信会社公式だと思われる。粋なことをするものだと思わずニヤリとしてしまった。

 

youtu.be

一つ一つ未来の後悔を消去して

 真面目に向き合って来なかった自分がいけないのだが、英語が出来ない自分を恥じている。

 

 国際化の時代だとか、インターネットで世界と繋がるだとか色々言われているけれども、身近で英語が必要になった事なんて殆ど無いに等しい。

 街で一度、東アジア人の観光客に話しかけられ道案内をしたことがあったが、その時は互いに片言の英語のやりとりでなんとかなった。他人のこと言える立場じゃないが、相手の発音もそれなりに酷かったので、こちらとしても気兼ねなく口から適当な英語をスラスラと言うことができた。あれ以来数年、英語を駆使しなければならない場面には一度も遭遇していない。

 

 ネットに繋がって生きているのだから、英語のウェブ・サイトを開けばそこに生きた英語がたくさん転がっているわけで、自らそこに飛び込んでしまえばいいのだろうが、どうしても情報を集める際の効率を重視すると日本語で書かれている物を探す方が圧倒的に有利なので、ついつい手に入れられる範囲の情報に甘んじてしまっている。

 

 報道については、海外の出来事の場合、その国の報道機関の国際版の記事に目を通したりもするが、写真や映像がふんだんに用意されているので、なんとなく眺めているだけでそれなりの意図が掴めてしまい、分からない単語がどれだけあろうが文法構造がどうであろうが英文それ自体の格式が高かろうが低かろうが全くお構いなしに雰囲気だけを味わってそれで終わらせている。

 

 ああ、これでは駄目だ。

 

 幸い基本的には無趣味な人間なので、英語の学習をそれに充ててと考えたことは何度もあったが、同時に勉強嫌いな人間でもあり、ついてに英語アレルギーの様なものもあったりしてどうも習慣に落とし込む事が出来なかった。

 

 ああ、やっぱり悔しい。

 

 もう十年近く、いやそれ以上か、に買った英語の教材を引っ張り出して、少しずつ取り組んでいこうと思う。

 それにしてもなんと綺麗な状態のままだろう。どれだけ自分が真剣に格闘していなかったかが良く分かる。いくつもの単語や文章に蛍光ペンの跡があるけれど、もう殆ど忘れてしまっている。

 

 ダイエットどころじゃない、長い闘いになるのは目に見えている。脳の疲れも半端ないのだろう。

 

 そうだ、目標はどうしよう、何かしら目指す場所を意識しておくことは大切だと聞くが……思い浮かばないな。嫌味な感じだが、「あ、英語くらい出来ますよ」みたいな人間になりたいだけなのかもしれない。それで何かをしたいとかどうしたいとか、全然どうでもいい。ボディー・ビルディングみたいなものかもしれない。究極は自己満足。自分との闘い。私の脳はどの程度外国語を理解出来る様になるのか、その実験。

 

 外国語一つも出来ないで人生を終わらせたくない、この想いを打ち消してしまいたい。

 

連続投稿七日目。はて、そこに真の意味は在るか?

 芋焼酎黒霧島が全身に回った状態で編集画面に向かっている。連続投稿記録を絶やしたくない、それだけの為に。

 

 Twitterに毎日言葉を流すことは簡単だったが、ブログとなると少し事情が異なる。作業が一瞬で終わらない。慎重に文面と向き合っている自分が居る。

 

 何より中身よりも前に、自分に課した題目を果たそうと必死になっている。そこに意味は無い。ただ自分の気持ちの為だ。そしてこの突発的な気持ちこそが私を突き動かしているということを私自身理解しているつもりでいる。これを逃せば、私の熱意はあっという間に冷めていく。

 

 何の変哲もない土曜日、改めて記すことなど無い。重い身体、やり残した様々、考えたくもない過去と未来。

 

 生活を一新する上で、アルコールについてもそれなりに考えた。ストレスが募れば自ずと度の強いアルコールに手を伸ばす機会が増える。素面でない時間を設けたいとの欲求が湧き上がってくる。しかし一瞬酔いしれても、翌日が光り輝いた日になったことなど一度も無い。すっきりしない胃に何かを流し込まないと落ち着かない様などうしようもない目覚めを迎えるだけなのだ。飲み過ぎなければ酔えず、飲み過ぎれば具合が悪くなる。丁度良い加減の酔いを体感出来たことが無い。

 

 誰か愛する人とゆったりとした空間でアルコールに身を任せることが出来たなら……。そんな思考は妄想でしかなく、しがない空白を噛み締めるだけの現実のみが私の人生を形作って来た。

 

 間も無く零時を迎えようとする時計に焦りながら、無為にキーボードを叩いている。

 

 それなりに一つを時代を実感出来る程の時間を生きたのに、未だ何もわからない。嗚呼、愚か者の人生はなんと悲惨なものなのだろう。

 

 冷蔵庫から烏龍茶のペットボトルを取り出し、一口飲み終えた所で「公開する」のボタンにカーソルを合わせる。

 公開と後悔が同音異義語とは、なんと皮肉な言語だろうとの想いを抱きながら。

 

 ……。

 

 推敲の作業に気を奪われている内に、2月19日へと日付が変わってしまった。

 連続記録は途切れてしまった。残念。

一ヶ月で約80kgから73.15kg

 想像以上に体重が落ちた。1日の微妙な増減を考慮しても、一ヶ月で6kg以上落とせていることになるので十分に成功していると思う。

 

 食事以外には何も気に掛けなかった。食事の回数を1日2回以下にし、俗に言う白い炭水化物を極力減らした。

 その間、恵方巻きと全粒粉ではないパスタを鱈腹食べた日もあった。

 因みに恵方巻きはHottoMottoで注文した物を。パスタはペンネ・リガーテを使ってブロッコリー・パスタを作り、安物の赤ワインと一緒に食した。

 この2回以外、炭水化物はオートミールと玄米しか口にせず、日によっては炭水化物抜きで野菜スープやキャベツの千切りだけでやり過ごした。

 

 体調の方はというと、元々全体的に優れないので何とも言えないのだが、食事を減らしたことによっての変化は何も無かった。

 悲しいかな、これだけ軽くなったのにも関わらず見掛けにも大した変化は見られない。顔の線もすっきりしていないし、鎖骨をより感じられる様になってもないし、お腹の膨らみが凹んでもない。

 もしかしたら骨や筋肉が減っただけという不健康な形での減量なのかもしれないが、心理的には嬉しさを実感しているので、これはこれで良しとしよう。

 

 気分屋な人間なので、痩せたい気持ちが続いている今はこの生活に全く苦しさを感じていない。寧ろ自然な形で食欲が減少してきているので、気楽でさえある。

 身の回りのあらゆる物の価格が暴騰している昨今なので、節約しなければとの想いもあり、この食生活で食費を浮かせられているという側面も心理的に良い方向で作用しているのだろう。

 

 目標は68kg。ここからは少し落ちにくくなるだろう。今の生活を続けていたとしても二ヶ月程度は掛かるのかもしれない。

 それにその数字に到達したところで肉体的に美しくなっているかといえばそうではない。ただ全体量が軽くなっただけ。筋肉量の少ない見窄らしい状態から脱却するにはそれなりの努力が必要になってくる。

 最大の目的は健康なのだが、たった一度の人生、鍛えられた自身の鎧を纏ってみたいという願望はある。しかもこれを長いこと抱き続けている。何処かの時点で始めないと後悔だけが残り続け、何時迄も惨めな想いで過ごすことになってしまう。

 

 物理的だけではなく、心理的な側面をも軽くしなければ。

 

7050.hateblo.jp

何か新しい事を始めるのにも大きな力が必要

 先月の17日にこのブログを開設したので、まもなく一ヶ月になる。記事を書き始めてからは未だ一週間しか経っていない。

 

 本当は開設してすぐにでも記事を投稿しようと思っていたのだが、ブログ名やらペンネームやらIDやらを色々と考えるだけで疲れてしまって何も書けなかった。

 

 昨年の年末辺りから本格的にブログを再開しようとの意識が芽生え、その頃にはいくつかの文章を拵えていたので、それらを一発目の記事として投稿してもよかったのだが、その記事の内の一つは図書館で借りてきた本についての感想という形だったので、今となってはその本がもう手元に無く、何の確認もしないままにオープンな形として残すのが不安になり、結局は止めにした。

 その借りてきた本は二冊とも安部公房関連で、一冊は安部公房の娘である安部ねり氏が書いた「安部公房伝」、もう一冊は安部公房の愛人だった山口果林氏の書いた「安部公房とわたし」。

 それぞれ1日で読み終え、拙い文章で一生懸命に感想文を書いてみたけれど、もう一月が経過する頃には熱が冷めてしまっていた。

 この安部公房に関する記事についてもそうだけれど、どれも態々遡ってまでアップしたくなるほどの出来ではなかった。

 

 本を真剣に読むというのも久々、それについての感想を書くというのはほぼ初めて、そしてそれをブログにアップするとなると、なんだかとても疲れてしまったというのが本音だ。

 実際、様にならないここまでの記事を毎日書くというのも億劫だ面倒だとの気持ちが勝ってしまっている。

 それに、あまり評判はよろしくないが、多くの人に読まれる事を目的としているブログの記事は、かなり上手に文章も構成もまとめられていて、あの様な記事に近づけるためにはもっと努力が必要なのだろうというのも容易く理解できて、嗚呼その為にはどれだけのエネルギーが必要なのだろうと嘆息するばかりだ。

 

 まとまりのない、取り留めのない適当な短い文章の世界はとても気楽だった。

 が、易きに流れるのはもう終わりにしようと折角決めたので、精一杯編集画面と向き合って行ければと考えている。

溜まりに溜まったブックマーク

 なんとなく気になった記事をみつけたらブックマークに放り込む癖があるので、知らず知らずのうちに整理するのも面倒な程の量になってしまっている。

 読みたいと思った本、詳しく読みたいと思ったWikipedia、面白かった某掲示板のまとめ記事、等々。

 過去は捨てよう、気持ちを新たにとPCをリカバリや新調する度にブックマークは引き継がずにブラウザを使い始めるのだが、名残惜しくてブックマークのhtmlファイルは捨てられずにいる。今まで生きてきた証の様に感じるのだ。

 

 あまりにも長い時間が経ってしまうと、もうすでに閉鎖されていたり、企業側の都合でWebのサービスが終了してしまっていたりして開けなくなっているページも多い。

 それなら諦めがつくというものかと、そうでもない。Wayback Machineなんていう便利な代物までこの世界には用意されているので、困ったものだ。

 

 最近、それらを少しずつ消化しようとしているのだが、読んでいるうちに気になることがまた出てきて、ついつい調べ物をしてしまい、結局新たにブックマークする羽目になるという本末転倒を演じてしまっているのが情けない。

  それにこれらの情報を仕入れたところで何の意味も無い気がして、それもこの作業の進捗を遅らせる心理的な要因になっている。

 

 物知りな人間が多すぎる。能力の高い人間が多すぎる。器用な人間が多すぎる。

 

 SNSだけが歪んだ自己愛を育む要素ではないようだ。優秀な他人達を身近に感じられるネットの世界は怖いし悲しい。もう受け身の生活は止めにしたいと思っているが、私が発揮できる力なんて高が知れていて、思考をまとめる作業に虚しさを抱かずにはいられない。