滔想 tōsō

開設 2023年1月17日 火曜日 午前3時51分58秒

一つ一つ未来の後悔を消去して

 真面目に向き合って来なかった自分がいけないのだが、英語が出来ない自分を恥じている。

 

 国際化の時代だとか、インターネットで世界と繋がるだとか色々言われているけれども、身近で英語が必要になった事なんて殆ど無いに等しい。

 街で一度、東アジア人の観光客に話しかけられ道案内をしたことがあったが、その時は互いに片言の英語のやりとりでなんとかなった。他人のこと言える立場じゃないが、相手の発音もそれなりに酷かったので、こちらとしても気兼ねなく口から適当な英語をスラスラと言うことができた。あれ以来数年、英語を駆使しなければならない場面には一度も遭遇していない。

 

 ネットに繋がって生きているのだから、英語のウェブ・サイトを開けばそこに生きた英語がたくさん転がっているわけで、自らそこに飛び込んでしまえばいいのだろうが、どうしても情報を集める際の効率を重視すると日本語で書かれている物を探す方が圧倒的に有利なので、ついつい手に入れられる範囲の情報に甘んじてしまっている。

 

 報道については、海外の出来事の場合、その国の報道機関の国際版の記事に目を通したりもするが、写真や映像がふんだんに用意されているので、なんとなく眺めているだけでそれなりの意図が掴めてしまい、分からない単語がどれだけあろうが文法構造がどうであろうが英文それ自体の格式が高かろうが低かろうが全くお構いなしに雰囲気だけを味わってそれで終わらせている。

 

 ああ、これでは駄目だ。

 

 幸い基本的には無趣味な人間なので、英語の学習をそれに充ててと考えたことは何度もあったが、同時に勉強嫌いな人間でもあり、ついてに英語アレルギーの様なものもあったりしてどうも習慣に落とし込む事が出来なかった。

 

 ああ、やっぱり悔しい。

 

 もう十年近く、いやそれ以上か、に買った英語の教材を引っ張り出して、少しずつ取り組んでいこうと思う。

 それにしてもなんと綺麗な状態のままだろう。どれだけ自分が真剣に格闘していなかったかが良く分かる。いくつもの単語や文章に蛍光ペンの跡があるけれど、もう殆ど忘れてしまっている。

 

 ダイエットどころじゃない、長い闘いになるのは目に見えている。脳の疲れも半端ないのだろう。

 

 そうだ、目標はどうしよう、何かしら目指す場所を意識しておくことは大切だと聞くが……思い浮かばないな。嫌味な感じだが、「あ、英語くらい出来ますよ」みたいな人間になりたいだけなのかもしれない。それで何かをしたいとかどうしたいとか、全然どうでもいい。ボディー・ビルディングみたいなものかもしれない。究極は自己満足。自分との闘い。私の脳はどの程度外国語を理解出来る様になるのか、その実験。

 

 外国語一つも出来ないで人生を終わらせたくない、この想いを打ち消してしまいたい。