滔想 tōsō

開設 2023年1月17日 火曜日 午前3時51分58秒

AIと共存する時代

 今日日、私がメインで使っているWebブラウザFirefoxVivaldiの二つに絞られているが、後者Vivaldiを使い始める前はOperaを使っていた。正直もうその存在すら忘れかけていたが、久々にこの名をニュースで見掛けることになった。

 

forest.watch.impress.co.jp

 

 WindowsMicrosoft Edgeでも近いうちにこの機能が搭載される予定のようだし、GoogleChromeに「Bard」を組み込んでくるのは時間の問題だろう。

 GoogleアシスタントAppleのSiri、AmazonのAlexaが同様の機能を持てば、私たちの身の回りには常にAIが居るという世界になる。

  

 が、今のところはまだこれらを積極的に使う気にはなれない。未だ信頼性という点で不十分だと思う。でもその様な面が未だ残っているからこそ、ChatGPTをオモチャにして遊ぶという楽しみがあるというのも事実だが。

 これらがオモチャじゃなくなってしまった時、本当に凄い時代が始まりそうな気がする。

Valentine's Dayはダイエットの敵に非ず

 子供の頃、運動会と並んで大嫌いだったのがこのバレンタイン・デーだ。

 

 振り返ってみると2月14日には嫌な思い出しかない。こんな日を楽しめる様な人間として私は生まれてきていない。運動会はその年々で開催日が違うし、大人になるとその様なイベントも無いので思い出すことも少ないが、こうやって日付が決まっているとどうしても思い出さざるを得ない。商業施設も大々的にこの日を書き入れ時にしようと必死になっているので、いつの間にか流行り出した恵方巻きの節分を過ぎれば、私にとっては切ないこのお祭り騒ぎに身を置かなくてはならず、気分が悪い。

 

 チョコレートを貰うことに何の価値があるのかと、冷め切って割り切って居られる私じゃなかった。内心、とても欲しかった。それなのに、周りの誰もがクラス全員に配布されたような義理チョコの一つくらいを手に学校からの帰り道をはしゃぐ中、私は何も持たずという事もざらに在った。

 

 幸い、義理チョコを一度も貰ったことが無い訳では無い。片手で数えられる程の経験はある。でも貰ったら貰ったで一月後に迫るホワイト・デーを意識しなければいけないことが苦痛だった。仲の良い友達とこの話題について何気なく話せる様な私じゃなかった。妙に強く意識してしまう。どうも私には女性との付き合い方に難があるのだと思う。姉妹や従姉妹は居らず、同世代の異性の幼馴染が居なかったのも私の不器用な性分を拵えるのを手伝った。

 それに、義理チョコを頂ける様な頃には、周囲の人間は本命チョコを頂戴する時分になっていたので、義理チョコ程度でたじろぐ自分の姿を他人に見せたくないとの気持ちもあった。

 

 バレンタイン・デーなんて無ければ良い。これが今までの一貫した私の本心だ。

 

 しかしこの日を理由にして、アーモンド・チョコレート一箱を手元に置いて今夜過ごそうと考えている私が居る。

 嬉しいことに、この一箱以外の成分やカロリーを気にする必要はない。例年通り、誰からもチョコレートを貰えなかったから。

 

 慰めのチート・デーを独り楽しむつもりだ。

Twitter Clients

 なんだかんだ言ってTwitterはとてもおもしろいと思う。

 

 VAIOWindows7の頃はTween、MacBook Airでは夜フクロウ、そしてThinkPadでWindows10を使うようになってからはTweetenを使うようになった。

 なんとなくブラウザから独立している状態のクライアントが好きだったので、今回のTwitter界隈の変化は非常に辛い。それにTweetDeckさえ有料サービス化するとの話も聞こえてくる。

 元々、スマートフォンでは気になるアカウントについては個別にブラウザのブックマークに入れて見ていて、公式も含めアプリ全般を活用していなかったのであまり詳しくはわからないが、そちらの方も色々と改変があっているようで。

 

 テレビは地デジに移行するときに処分してしまい、新聞も購読していないので、情報収集は専らネットに頼っているのだが、Twitterはそんな人に打って付けの代物だ。行政も報道も流行りも全てここで俯瞰出来る。何気ない、ほんの短い言葉をタイムラインに流せば、リアルタイムで「いいね」やリツイートで反応も貰える。嗜好の近い人たちとの緩い繋がりも心地良い。

 

 一方、SNS全般に言えることだが依存性が凄い。テレビを眺めている時よりもあっという間に時間が過ぎて行ってしまう。能動的に接している様でいて、実際はただ溢れかえる情報の海に溺れてしまっているだけだ。このシステムを上手に使いこなせている人も間違いなく居るが、僕の場合は残念ながらそうではなかった。情報社会、格差社会の片隅で膨れ上がる自我のガス抜きに利用していただけだったと思う。

 

 Twitterの世界に入り浸り過ぎたので、一度に書こうとする文章を何となく140字以内に収まるようにする癖さえ身に染み付いてしまった。

 

 有り余る情報からの脱却、それを向こう側から用意してくれているのだと、これを好機だと捉えることも出来るのかもしれないが、Twitterから離れたとしても別の形で情報を探しに行くだけなのだろうな。

 

 ネット依存症は現代の深刻な病だと思う。

オートミール

 オートミールが少し流行った様で、ネットで少し調べれば様々な食べ方が紹介されているけれど、私はシンプルに塩とオリゴ糖で味付けをして食べることにしている。

 

 オートミール 60g

 水      500ml

 塩      小匙 1/3程度

 オリゴ糖   大匙2

 

 これを鍋に入れて火に掛け、オートミールが柔らかくなるのを待つ。それで終わり。オートミールはクイック・オーツではなく、ロールド・オーツ。ロールドはクイックに比べて少し大きめ、硬めのオートミールで、水や牛乳を掛けてササっと食べるのには向いていない。十分に火を通して食べた方がいいと思う。

 

 よく巷では「腹持ちがいい」と言われるオートミールだが、私には全くそうは思えない。他の何を食べた時と同じ感覚しかない。寧ろ少なく感じてしまう。だから上記の様に結構多めに作っている。ラーメン丼に並々入る量だ。

 

 今は美味しく食べられているが、初めて口に入れた時はそうではなかった。細かく砕いた紙を溶かした物の様な印象だったのを覚えている。本当にこれが欧米では一般的な朝食なのかと、俄かには納得出来なかった。

 しかし色々なメーカーを試していくうちに、段々とこの風味に慣れてきて、今では美味しく感じる様になった。

 甘くして食べたり、リゾットに似せたり、日本食に近づけたりといくつかの方法を試したが、結局は塩分と少しの甘みだけで食べるのが自分には一番向いている気がする。

 

 ダイエットに適した食品だからと言って、これだけの分量を食べるとなると痩せないのではないかと思うかもしれないが、私の場合は順調に体重を落とすことが出来ている。朝食をオートミールにするだけではなくて、1日の食事の質、全体量をそれなりに調整できるのであれば、上記のオートミールを食べるのが今の私には丁度良いみたいだ。

 

 何が自分に適しているのか、それぞれで探して行くしか無い。

人生で一番重い日

 このブログを開設した日は人生で最高の体重を記録した日でもある。

 約80kg。

 小数点以下まで詳細に覚えていないし、Tシャツも着たままで測ったので大体ではあるが、間違いなく80という数字は見えた。

 

 ただ体重が落ちればそれで良しと行かないのは分かっている。だからと言って80kgは重い。一般論で適正体重は70kg。取り敢えずはそこまで落としたい。しかしながら筋肉量が少ない身体なので、68kgまで落としてしまいたい気もする。

 

 悪い癖として数えられてしまうかもしれないが、つい何事もWikipediaで調べたくなる性質なものだからダイエットのページを開いてみたものの、思いの外詳しすぎるわ長すぎるわで驚かされた。流行りのAIにも聞いてみたいところだが、まだ登録していないし、何よりダイエットの外枠だけ山ほど情報を仕入れたところで実行に移さなければ何の意味も無いので、この辺りで留めておいた。

 

 結果、私のやるべき事は決まった。とにかく炭水化物を減らす。ゼロにはしない。オートミールと玄米を食の中心に据える。食事の回数も2回にし、16時間絶食ダイエットを意識した時間配分を目指す。食べる物や量については意識しない。

 しかし、無理はしない。適度に Cheat Day も組み込むつもり。

 

 さて、どれくらい続けられるだろう、何処まで軽くなるだろう。 

何か書くこと、そして続けること

 開設してから時間が空いてしまったが、ブログ始めようと思ってから実際に登録するまでの期間に比べれば全然短い。何年も前からこの事について考えていたのに、もう2023年になってしまった。

 

 十代の頃、いくつかのブログを作ってみたものの、方向性が定まらずにいつの間にか書く作業から離れた。

 

 でも何か書きたい、何か残したい、どんな形でもいいから……そんな頃にtwitterが流行りだし、私はその手軽さに見事にハマり、長い間そちらの方で好き勝手に呟いた。でもそれも飽きてしまった。それにtwitterは結局何も残ってないのと同じだ。無為に時間だけが過ぎて行った。

 

 その他様々なSNSの気楽さに慣れて仕舞えば、外観を編集したり、毎度毎度記事を書かなければいけないブログには中々近付けなかった。しかし今年、やはりきちんとした形の文章を残そうと決意した。

 

 元々普段から文章を書く仕事をしていないし、趣味で創作の活動をしているわけでもないので、先ずは執筆自体に慣れる工程から入らないといけない。

 

 事実、今回も全く計画は無い。初めのうちは我武者羅に滅茶苦茶でもいいから取り組んで行くしか無いのだろう。

 

 いつの日か、それなりにまともな文章を書けるようになれればと、それだけは胸に秘めている。